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2023年5月25日 (木)

歴史ヒーロー伝「楠木正成」

Kusunoki_masashige     楠木正成(1294-1336)は43歳のとき、建武3年5月25日、兵庫・湊川で戦死したといわれるが、その年齢については、確かな証拠があるわけではなく、その生地も不詳である。楠木正成が史料にその名を現すのは元弘元年6月から8月ごろである。臨川寺領和泉国若松庄に、「悪党楠兵衛尉」として乱入押妨をしたという記事が天竜寺文書に見えるのが最初で、それ以前の行動はわからない。楠木正成といえば忠臣の代表として戦前は国民に親しまれた人物である。楠公ゆかりの場所は関西一円に多数存在するが、阪神間は神戸の湊川神社をはじめ、芦屋・西宮一帯にもゆかりの地はある。元弘元年、吉田定房の密告により、後醍醐天皇(1288-1339)は笠置山に逃れたが、幕府軍に攻められて陥落、後醍醐は捕らえられて隠岐に流された。しかし、足利尊氏や新田義貞らの反幕の動きが高まると、元弘3年隠岐を脱出した。帰洛をめざす後醍醐は山陽道をのぼって摂津の芦屋を過ぎて、「川東の手前までのところで」(太平記)楠木正成の出迎えをうけた。天皇はじきじきに「よくぞ参った。その方の忠誠と励ましこそ心の支えであった。回天の事業をなしたのは、ひとえにその方の忠誠にもとづくものだ」と声をかけられた。地に伏して感激する正成。この後醍醐天皇・楠木正成、面会の場所はどこであろうか。阪神香枦園駅の西方と考えられる。駅の西端を夙川が流れ、その東側は旧字名が川東で、今も川東町がある。阪神高速芦屋料金所(芦屋市大東町)あたりであろうか。

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日本史」カテゴリの記事

コメント

神戸市兵庫区門口町の福厳寺は楠木正成と後醍醐天皇の史跡として有名です。
また神戸の港の歴史においても重要な地位をしめます。境内には塔頭二ヶ寺、起雲庵、常牧庵がありましたが、明治後合併廃寺されましたが、名目的に方丈〔内殿〕は起雲庵と言う事になりました。また和田〔和田岬〕にあった尼寺、円通寺〔円通庵〕も現在は福厳寺に合併されています。

貴重な情報をありがとうございます。楠木正成、後醍醐天皇の史蹟は全国各地にほんとうに多いですね。ネットの史蹟めぐりも楽しいです。

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