学生作家・大江健三郎、異才登場
このブログで「小説家とは何か」というたいへん難しい、しかし興味ある論議がされていますが、大江健三郎という著名な一人の作家に関して考えてみます。画像はおそらく芥川賞を受賞した頃(23歳)の写真です。狭いアパートには机の上には広辞苑とわずかな書籍、簡易なベットがあります。そして痩せて蒼白く神経質そうな貧乏学生の大江がいます。当時、大江が読んでいた本は、パスカルとカミュに熱中し、やがてサルトルに関心を持ちはじめた。安部公房、ノーマン・メイラー、フォークナー、ソール・ベローなどを読む。卒論では「サルトルの小説におけるイメージ」を論じている。これらサルトルの思想が受賞作「死者の奢り」に大きく反映されている。
日本文学は現在、村上春樹などの作家の作品が海外で翻訳されて書店に並んでいるが、この当時は、日本の作家の小説が海外で紹介されることはほとんどなかった。まもなく川端康成や三島由紀夫が海外で知られるようになるが。だが評論家たちの高い評価をえるのは、戦後作家といわれる大岡昇平、埴谷雄高、野間宏などであり、彼らはそれぞれスタンダール、ドストエフスキイ、サルトルなど海外の作家に大きな影響を受けていた。後輩作家の大江健三郎もサルトル(もしくは実存主義)という世界文学の潮流の中で「存在とは?」というテーマを捉え、自己の文学的出発点としたことが、学生作家として幸運なデビューを飾った一因であろう。昭和30年代ころから、日本の文学も文章の美しさや漢語を駆使した修辞よりも、作家の主体性やイメージ、より深い内面性、現代性が求められるようになったといえる。大江が人生の大きな転機となったのが、1963年(当時28歳)第一子、光くんの誕生であった。翌年、知的障碍者を持つことになった父親の苦悩と葛藤を描いた「個人的な体験」を発表した。絶望から希望を見出すラストに評論家たちから批判はあったが、わが子の命を守り健全に育てていくという決心に感動を与えられた読者も多い。
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