イースター島の発見(1722年)
探検家ヤーコプ・ロッへフェーン(1659-1729)はオランダのミデルブルフに生まれた。1683年、公証人となる。1690年、ハルデルワイク大学で法律を修め、1707年から1714年までバダビアで裁判官となる。1715年、帰国。のち海軍提督となり1721年から1722年、オランダからホーン岬経由で太平洋へはいる。ファン・フェルナンデス諸島に立ち寄り、さらに航海を続け、1722年4月5日、イースター(キリスト復活祭)の日に、小さな島を発見する。海岸にそって煙が立ちのぼり、遠くから緑なす丘が見える。ロッへフェーンは、この島にイースター島という名前をつけた。島のシンボルとなっている巨大な石造(モアイ像)に関して航海日誌にこう書いている。
「わたしたちはかれらが、建立したすばらしく高い石像のまえで、火をたくことに気づいた。そしてその後、像の足元に頭を下げてうずくまり、手のひらをあわせ、交互に上げたり下げたりすることも知った。大きな、あるいは太い木材もないのに、どうしてこんなものを立てることができたのか、わたしたちには理解できなかった」
そのころはまだ島のモアイの半数ほどが、まだ直立していたとある。像の調査に関しては、後世の探検家たちに残されたのである。
モアイ像の石切り場はラノララクにある。そこから80トンもあるモアイ像はどのようにして運搬したのであろうか?2011年、テリー・ハントとカール・リポはある学説を発表した。巨大なモアイ像はロープと人の力だけで左右に揺らし、直立で移動したという。この方法を実験によって証明した。18人で3方向からロープを引っ張ると、40分で100mの移動が可能であった。巨石像の遺跡のほかに、「ロンゴロンゴ」とよはせれる表意文字がのこされているが、いまだに解読されていない。
モアイ像のは上半身だけでなく、下半身には褌のような下着をつけている
(Terry Hunt,Carl Lipo,Moai,Jacob Roggeveen,Easter Island )
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