カント、カントで半年暮らす
ドイツの哲学者イマヌエル・カントの1724年の誕生日。ある大学の教授が、ドイツ哲学を専攻する学生が、ここ数年いなくなった、と嘆いていた。哲学科や史学科には学生が集らないという。大学にきちんと文学部があって哲学科や史学科があるところも少なくなっているらしい。その教授の話によれば、「今どきの流行は国際・情報・環境などで、こういったキーワードで看板を付け替えないと予算が回ってこないという事情がある。民俗学はほとんど消滅しており、史学科も東洋史、西洋史という区分けでの研究が難しくなっている。見栄えのよいラベルと評価受けの良い外向けのメニューは並べ立てられているが、内容は反比例して空疎になっている」とのことである。最近の大学は産業界との連携で、人文社会系より自然科学系、基礎研究より応用・実用研究、教養的教育よりは実習的研究、に片寄る傾向がある。そのほうが公的資金を得られやすいからである。高等教育機関が国家戦略の手先と成り下がった。ヘーゲルの言葉には「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という有名な句があるが、理性的であるためには、まず学問の場の自由な精神文化を回復することが必要であろう。18、19世紀の西洋近代がこれまで築いてきた伝統的な学問を学習、研究する今日的な意義は少しも失われていない。(4月22日)
« 悲劇の将軍・山下奉文 | トップページ | 「よ」 ファースト・ネームから引く人名一覧 »
「哲学・思想」カテゴリの記事
- ニコライ・グルントヴィ(2022.08.15)
- おなじ町でも・・・見晴らしの数だけ町がある(2016.08.11)
- 事項索引における序列と相互関係について(2016.03.16)
- 世俗内的禁欲(2015.07.12)
- エウダイモニア(良く生きること)(2025.02.17)



こんにちは。
この記事を読んでなんだか嬉しくなりました。わたしにはやけにリアルなテーマでしたので。
明後日、私はこれまで所属していた法学部“国際”関係法学科から、文学部哲学科への転部科の手続をする予定なのです。
哲学という学問研究の「意義」など、私にはどうでもよい。
ただ私には知りたいことがあるのです。それを知るためには時間が要るのです。民法の講義を聴きながら机の下で哲学書をこそこそと読む程度では致命的に時間が足りないのです。
貴方様のブログは、私が今まで見た中でいちばん「たのしい」ブログです。
今後とも、更新をたのしみにしております。
投稿: gento | 2008年9月10日 (水) 18時35分