自転車(明治事物起源)
自転車という外国の乗り物が、近代日本に、いつ頃伝わり、どのように受容されたのであろうか。わが国に自転車が伝来したのは、長い間、明治3年(1870年)と見る説が定説のように流布されていた。これは石井研堂「明治事物起源」の影響が大きい。しかしこの説で日本で初めて自転車に乗ったとされる佐藤アイザックという人物の正体が明らかとなった。本名を横山錦柵といい、嘉永2年生まれで、18歳で英語を学ぶため渡米し、1877年に帰国している。つまり1870年の自転車渡来とは無関係であることが判明した。明治10年代には横浜で自転車のレンタル業が始まっている。また国産初の自転車製作は滋賀県長浜市の国友鉄砲鍛冶師が1891年に作ったともいわれている。「日本近代総合年表」(岩波書店)によると、1889(明治22)年の項に「この年、大阪・神戸に自転車(鉄輪)流行し、貸自転車ふえる。賃料1時間5銭」とある。
自転車の発明は1817年ドイツのカール・フォン・ドライスが発明したドライジーネと呼ばれる木製の二輪車が今の自転車の元となったとされている。ところが自転車の発明は西洋ではなく、江戸中期に日本人がすでに発明していたという説が近年あきらかにされた。増田一裕によると、武州児玉郡北堀村の組頭の庄田門弥が1729年に「陸船車(りくせんしゃ)」という木製の乗り物を作った。徳川吉宗も興味をもち、陸船車を江戸に献上させたという。
自転車といえば徳川慶喜。慶喜は明治20年ころ当時珍しかった自転車を購入し、静岡で乗り回し余生をエンジョイしている。 日本に自転車が一般に普及するのは1890年代に入ってからである。福沢諭吉や夏目漱石は自転車に乗れたのか?福沢は高齢になっているので少し無理かもしれない。ただし1902年に慶応義塾自転車競技部が設立され、息子の福沢一太郎が初代部長であるから、自転車にはなみなみならぬ関心があったことと思う。漱石には「自転車日記」という作品がある。1902年、留学先のロンドンで下宿の婆さんに薦められて自転車に初めて乗った。すでに35歳になっていたが、運動神経のよい漱石は悪戦苦闘のすえ、どうやら無事乗りこなすまでに上達した。漱石と同世代の東洋史学者、那珂通世は自転車博士といわれるほど自転車が好きで、朝鮮や満州に自転車旅行している。中村春吉は1902年、自転車で世界一周旅行を達成した。
最近、新潟県加茂市で「なるべく自転車に乗らないように」という文書が小中学生に配布された。交通事故防止のためであるが環境整備が大事であるとの批判もある。近代人にとってもはや自転車は不可欠なものだが、交通マナーなど安全教育の徹底を若いうちに図る必要がある。4月からはヘルメット着用が始まった。「人生とは自転車のようなもので、倒れないようにするには走らなければならない」(アインシュタイン)
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