保元の乱余話
1156年7月11日、崇徳上皇と藤原頼長がたてこもる御所を鳥羽院、白河天皇、平清盛、源義朝、源義康を大将とする軍勢が押し寄せた。天皇方の勝利であった。崇徳上皇と頼長は逃げたが、勢いに乗った天皇方はさらに源為義の住居を焼いた。戦闘はわずか数時間の間にあっけなく終わったが、驚いたのは都京都に住む人々であった。保元の乱の原因の1つに、後白河天皇の即位を決めた鳥羽院の処置に対する崇徳院の深い恨みがあったことは、『保元物語』が冒頭に説くところである。鳥羽院は、美福門院が生んだ近衛院を帝位につけさせるために、まだ若年の崇徳天皇を退位させた。ところがやがて近衛天皇が17歳で早世したので、世間では、つぎは崇徳院の第1皇子重仁親王が即位すると予測し、崇徳院もそれを期待していた。だが、鳥羽院は四宮(後白河)を推して即位させてしまった。そのため崇徳の恨みはいっそう深くなり、やがて鳥羽法皇の死後、崇徳上皇方が乱を企てることになる。
美福門院というのは藤原得子(1117-1160)のことで、鳥羽天皇の寵愛を受け、皇后となり近衛天皇を生んだ美貌の人である。司馬遼太郎の初期作品に「牛黄加持」という風変わりな短編がある。若き法師義朗が、世継に恵まれない帝の女后の加持祈祷をする。牛黄を陰部に塗って祈祷を行うが効果がないとみるや、自身が挿入して、見事、懐妊するという話である。これが体仁(なりひと)親王、のちの近衛天皇である。
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