山名宗全没す(1473年)
宗全というのは号で、名は持豊という。嘉吉の乱に赤松氏を討ち、その功により山名氏を再興される。応仁の乱には足利義尚をたてて、西軍の主将として戦った。応仁3年、東軍が西軍本陣に斬り込んできたときには、66歳の老齢ながら具足をつけ刃をとって庭に出て、敵兵を追い払った。しかし年齢による衰えは隠しようもなく、文明2年には中風に冒されて自筆もできずに花押印を使用していた。文明5年3月18日、宗全は病死した。宗全死去から4年後に応仁の乱はようやく終結した。
« 康熙帝とネルチンスク条約 | トップページ | ドイツ女優列伝 »
「日本史」カテゴリの記事
- 山名宗全没す(1473年)(2023.03.18)
- 柳沢吉里(2023.02.11)
- 朝鮮通信使(2023.05.06)
- 暁に祈る事件(2023.02.04)
- 三木合戦(2023.01.17)
コメント