冬の琵琶湖哀歌
むかし大津びわ子という珍名のラジオのパーソナリティーがいた。明石家さんまは「大津びわ子が一番しゃべりやすかった。今までのアシスタントの中で彼女が最高や」と褒めている。しかし湖畔の大津といえば、心あるものにとっては大友皇子の悲史や柿本人麻呂の哀歌をおもいうかべ感懐にふけるのである。
淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば
情もしのに いにしへ思ほゆ
国名の「近江」は、浜名湖のある「遠つ淡海」に対して、「近つ淡海」の意からくるものである。「淡海の海」とは、いまの琵琶湖のことである。その湖形があたかも楽器の琵琶の姿に似ているので、「琵琶湖」という名称が出来たのはそう古いことではない。江戸中期以降のことである。
667年、飛鳥から近江大津宮に遷都があり、翌年、中大兄皇子は正式に即位して天智天皇となった。だが、671年、天皇が死去すると、大海人皇子と大友皇子との間に王位継承戦争が起こり、大友皇子は自殺して、近江大津宮はわずか5年4ヵ月で滅んだ。興亡に浮き沈みした悲運の都であった。(3月19日)
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