死後に認められた作家スタンダール
スタンダール(1783-1842)。本名アンリ・ベール。1842年3月23日、パリの街頭で倒れ、死去した。享年59歳。父シェリュバンは、高等法院の弁護士で市助役もつとめた。7歳のとき、最愛の母アンリエットを失った。彼からみて父は凡庸な法曹界の成功者で、分別臭い常識人にすぎなかった。彼は亡き母を恋した分だけ、父を憎悪した。
16歳のとき、スタンダールは理工科学校受験のため、死ぬほど嫌いな故郷を離れ、パリに上京する。しかし、受験を放棄して、親類のダリュの世話で、ナポレオン軍の少尉に任官し、1800年にサン・ベルナール峠を越え、イタリアに遠征する。そしてミラノで竜騎兵少尉に任官した。イタリアとの接触は大きな感動を与え、チマローザの音楽やイタリア絵画、この国の人間のはつらつとした生き方、美しい女性を知り、詩と光への扉をひらいた。
スタンダールは軍隊から身を引き、パリに帰って、勉強に専念する。野心は「モリエールに匹敵する当代第一の戯曲作家になること」。フランスの古典文学だけでなく、好きなシェークスピアを研究し、戯曲の試作をすること。変わっているのは、戯曲作家を志すこの文学青年が、コンディヤック、エルベシウス、トラシー、ド・ビランなど、イデオロッグ哲学者の著作をむさぼり読んだことである。こうして、戯曲創作のための人間研究をしつつ、こういう思想家たちの明晰な推論法を学んで、独特の人間学の基礎づくりをしたことである。
1830年11月、「赤と黒」が出版された。スタンダールはナポレオン失脚後の反動的な王政復古のフランス社会を背景として、近代人的な精神を身につけた一青年人物が生きぬこうとする精力的な姿を描いた。フランスにおける最初の本格小説の誕生ともいえよう。
スタンダールという人物については、アランが名評論「スタンダール」の冒頭で「不信の人、何事も信じないが、信じるときは全的に信じる。稀有の性格」と言っているのが的確である。スタンダールの作品の若い主人公にこの作者の性格は投影され、彼らはよく疑い、よく判断するとともに、極度に感じやすく、全存在をもって感じ、生きる近代人の性格を実に鮮明に示している。墓碑銘には「生きた、書いた、愛した」とある。だがモンマルトルにある墓には配字の関係なのか、イタリア語で、「アリゴ・ベイレ、ミラノ人、書いた、恋した、生きた」(Arrigo,Beyle,Milanese visse,scrisse,amo)と刻まれている。グルノーブルで生れたスタンダールがなぜミラノ人なのか不思議であるが、イタリアへの強い憧れがあるのだろう。生前は正統な評価を得ることはなかったが、バルザックだけは激賞した。スタンダールの評価が高まるのは、19世紀も末のことである。(Stendhal)
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