樋口一葉と夏目家との破談の真相
樋口一葉は明治5年5月2日(旧暦3月25日)、東京府第二区一小区内幸町一丁目一番屋敷、東京府構内長屋の官舎で生れた。戸籍はなつ、本名・樋口夏子といった。父・樋口為之助は天保5年生まれで、南町奉行同心であったが、維新後は東京府庁に勤めていた。明治になって名前を樋口則義と改めた。明治9年12月に東京府を退職した。明治14年3月、則義は警視庁警視属になったが、家計は苦しく、生計の苦労はたえなかった。
明治19年頃、15歳の夏子に縁談話があった。相手は名主をつとめる夏目家の長男・大助(1856-1887)である。夏目小兵衛直克(1817-1897)は警視庁につとめ、樋口則義の上司でもあった。つまり夏目漱石の兄・大助の嫁に樋口一葉をどうかという、縁談があったのは事実であろう。しかし、翌年、大助は他界し、破談となった。一説によると、漱石と一葉との間に縁談があったのではないか、という新説もあるが確証はない。則義が度々直克に借金を申し込んだことがあり、これをよく思わなかった直克は、「親戚になったら何を要求されるかわかったものじゃない」と言って、破談になったという説もある。
明治22年には樋口則義の事業が失敗し破産しているので、縁談はすすまなかったであろう。3月、死期が迫った則義は、一葉の将来を心配して、渋谷三郎に婚約をたのんでいた。しかし、7月に則義が死去し、樋口家が破産したことを知ると、渋谷は婚約を一方的に破棄した。同年、夏目金之助は英文学を志し、漱石の号を初めて用いた。翌年、樋口なつも小説家になることを決意し、一葉の号を用いた。
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