北条時宗、執権に就任(1268年)
文永5年のこの日、北条時宗が鎌倉幕府第8代の執権に就任した。時宗は、名執権として名高い時頼の嫡子として生まれたが、年少のため、時頼亡き後、一族中の長時・政村が暫定的に執権を治めていた。ここに嫡流による執権政治が復活したのである。
北条一門の中で、その嫡流の家督を得宗といい、はじめは執権の地位と密着していた。徳宗とも書くが、義時を徳宗と称したことにはじまる。北条氏の中でも、他と区別された特別の地位と考えられ、北条時宗の時代以後は、執権の地位とは関係なく、急速に権力が得宗に集中し、やがて得宗の専制権力が生まれて、政治史上、重要な意味をもつに至った。得宗はつねに数国の守護を兼ね、また全国に散在する得宗領をもつ。また得宗の家制機関として、公文所、御内侍所などが設けられた。得宗の被官を御内人と称したが、彼等はその最上位者たる内管領を中心に得宗専制政治を推進した。初期の将軍独裁政治から合議制を特色とする執権政治をへて、最終段階である得宗専制政治へと転換していくことになるのである。(3月5日)
①時政②義時③泰時④経時⑤時頼⑥長時⑦政村⑧時宗⑨貞時⑩師時⑪宗宣⑫凞時⑬基時⑭高時⑮貞顕⑯守時(①~⑯は執権就任順、太字は得宗)
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