黄巾の乱おこる
およそ1700年前、中国では大土地所有と商業によって富をきずいた豪族が、お互いの領土を奪い合っていた。漢の王室は幼帝が続き、宦官・外戚の政治介入で混乱し、宦官が官僚を弾圧し、国がばらばらになっていた。ちょうどそのころのことである。鉅鹿郡の張角が、184年3月5日、太平道の信徒を中心に農民反乱をおこす。張角のよびかけにこたえて、集まる者の数は、またたくまに増えて50万人を超えた。黄色の旗をててた軍隊を見て、官軍は「黄巾賊」と呼んだ。太平道は五斗米道とともに道教の源流となった。黄巾軍の指導者、張角、張宝、張梁、張曼成、波才らが蜂起した。だが張角は184年に病死し、張宝・張梁も戦死し、すぐに盧植、皇甫嵩らによって黄巾党は鎮圧される。スローガン「蒼天すでに死す。黄天まさに立つべし」に見られる漢朝統治の天下が死んで黄色の天になるという意味は、火徳の王朝の次には黄色の土の徳を有する王朝が成立する、という五行思想の王朝交代説である。
« 保元の乱余話 | トップページ | 「て」 ファースト・ネームから引く人名一覧 »
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 後拾遺和歌集(2023.09.16)
- 今日は何の日(2023.08.14)
- 剣豪スタア・阪妻没後70年(2023.07.07)
- サディ・カルノー暗殺事件(2023.06.24)
- リクルート事件と江副浩正(1988年)(2023.06.18)
コメント