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2023年3月26日 (日)

後鳥羽天皇と新古今和歌集

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伊賀の局 伊藤小坡  昭和5年

 

  歴代天皇のうち、第82代後鳥羽天皇ほど多芸多才な天皇は見当たらない。歌道、書画、管弦、蹴鞠などの宮廷に伝統の技芸は玄人はだしであったし、刀剣の鍛錬も行った。天皇みずからの鍛刀は「菊一文字」と称して現在も幾振りか伝えられている。なかでも秀でているのは歌道だった。元久2年(1205)3月26日、「新古今和歌集」が完成した。1978首、20巻。撰者は源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経。

  ところで後鳥羽院の愛妃に伊賀の局がいた。もとは白拍子で亀菊という。上皇は寵愛のあまり摂津国長江・倉橋の二荘を賜った。鎌倉幕府はこの荘園に地頭を補任したが、地頭の横暴が激しいという理由で、上皇はその地頭の罷免を幕府に命じた。しかし執権・北条義時は聞き入れず拒否したため、この事件が一因となって承久の変が起こった。上皇は承久の変に敗れて、1221年7月13日、隠岐に配流され同島で没した。いわば伊賀局も傾国の美女といえなくもない。

    伊藤小坡(1877-1968)は、三重県宇治山田(現・伊勢市)の猿田彦神社の宮司の長女として生まれた。明治31年京都に来て、谷口香嶠に師事。大正4年第9回文展で「制作の前」で三等賞となり、以後文展、帝展に出品、大正8年日本自由画壇の結成に参加したが、翌年には竹内栖鳳のすすめで脱退し再び官展に帰った。上村松園につぐ閨秀作家といわれる。昭和43年に90歳で没した。

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コメント

やあ、先生は絵画の専門家ですか?すごいですね。伊賀の局はしってましたが、それを描いた画家・・これは知りませんでした。絵画については少々自分は詳しいと思ってましたが・・

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