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2023年2月 1日 (水)

大名の存在

   大名という題目でブログ記事を書くに当たって、さて何を主眼とするべきであろうか。NHKの大河ドラマは大概一個人のリーダーにスポットを当てて通史的に描かれるが、生涯のなかで家臣団や側近の武将たちが主役を守るというのも見所のひとつである。「太閤記」「源義経」「国盗り物語」「草燃える」「徳川家康」「独眼竜政宗」「武田信玄」「秀吉」「葵 徳川三代」「利家とまつ」「鎌倉殿の13人」そして今年の「どうする家康」。ヒット作はいつも忠実な家臣団がいる群像劇であり、脇役と思われる人物にも注目が集まる。大名といっても、日本史には鎌倉、守護大名、戦国大名、近世大名などとよばれるものがあるが、そのうち江戸時代、徳川幕府は全国に200以上の大名を支配下においた。北の松前藩から南の薩摩藩まで、その数はおおむね200半ばから後半であった。明治を迎えたときは約270の藩が存在していた。その大名たちの石高の大きさは、100万石以上のものから1万石程度のものまでさまざまだったが、その中で、一番大きな石高をもっていた大名は?文久3年の調査によると、一番大きなのは120万石の加賀前田家、次は72万8000石の薩摩島津家、62万仙台伊達家、61万9500石の尾張徳川家、55万5000石紀伊徳川家の順である。

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