聖書新事典「明日のことはわずらうな」
国や文化が違っても似たような言葉はたくさんあります。
「明日は明日の風が吹く」むかし石原裕次郎が同名映画主題歌を歌っていたし、スペイン語の「ケセラセラ」はドリス・デイの同名歌で知られる。どちらも将来の不安や先のことを思い悩むよりは、成り行きに任せようということ。ところで「明日は明日の風が吹く」という言葉の出典はマーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」の映画でスカーレット・オハラのセリフに「Tommrrow is another day.」の訳語とされることが多い。だがどうもしっくりこない。日本には戦前から使われていた筈である。調べてみたら河竹黙阿弥の創案した言葉だった。歌舞伎「上総綿小紋単地」にでてくる。黙阿弥はほかにも「人の噂も七十五日」「物は相談」「昨日の敵は今日の味方」「地獄の沙汰も金次第」「人は見かけによらぬもの」「釈迦に説法」「高見の見物」など現代でもよく使われる洒脱な警句を作っている。黙阿弥が最初に使って、それが落語などに取り入れられて、昭和の初めには流行語として使われていたらしい。
もちろんルーツは聖書のマタイ伝6-34。「次の日のことを決して思い煩ってはなりません。次の日には次の日の思い煩いがあるのです。一日の悪いことはその日だけで十分です」(Sufficient unto the day.)
「ケセラセラ」はもともとスペイン語にはない言い回しで、ことわざではありません。「Lo que sera,sera」と表しますが、文法的には変なとこがあります。英語に直訳すると「Whatever will be,will be」となることから、英語圏で使われ出しました。つまり、スペイン語の語彙を用いてつくられた言葉であるものの、つくられたのは英語圏という変わった言葉となります。1956年のアメリカ映画「知りすぎていた男」の主題歌「ケセラセラ」が大ヒットしたため、世界中に広く知られるようになりました。
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