世界史におけるロマン主義
フレデリック・ショパンは1810年3月1日、ワルシャワ近郊のジェラソワ・ウォラで生まれた。ロバート・シューマンは1810年6月8日、ザクセンのシウィッカウの書籍商の子として生まれた。音楽の分野では2人はロマン主義音楽といわれる。ここではロマン主義とは何か、世界史の歩みのなかで考えてみよう。
18世紀の啓蒙主義はアメリカの独立宣言(1776年)、またフランス大革命(1789年)のための思想的武器となったものであり、イギリス産業革命の基調たる経済的合理化主義にも大きな影響を与えた。だがドイツの哲学者カントはすでに「純粋理性批判」(1781年)において人間理性の認識能力の限界を批判論断し、啓蒙主義から超脱していた。音楽の分野においては、ベートーベンの作品はウィーン古典派の頂点わ示すものである。今やフランス革命、ナポレオン戦争を経て、多年の戦乱に疲れ果て平和を求めること切であった。19世紀初めの欧州では、保守的復古的な反動が支配し、この反動と結びついたロマン主義が啓蒙主義に対する反動として隆盛をきわめた。フィヒテ、シェリングや弁証法で名高いヘーゲルの哲学のなかにもロマン主義的傾向が濃厚である。「アタラ」「ルネ」を著わしてフランス・ロマン主義の先駆となったシャトーブリアンや、義勇兵としてギリシア独立戦争に参加陣没したイギリスの情熱詩人バイロン、さらに未完成交響曲で知られるオーストリアのシューベルトなどは、代表的なロマン主義の芸術家である。しかるにロマン主義は極端に感情と空想とを重んじ、過去を美化しその栄光に溺れて、現実から全く遊離したものであったがために、19世紀中頃になると、その反動として、現実主義が台頭してきた。現実主義は、産業革命の所産と言われる科学的社会主義やコントの実証主義や自然科学の発展と結びついたものである。イギリスのチャールズ・ダーウィンの「種の起源」は、現実主義隆盛の序曲を奏でたものといえよう。現実主義は、文芸上は自然主義と称せられ、現実・理知・客観を追及して、人生の真理を白日のもとに暴露し世の批判を求めんとするものである。だが音楽の分野においては自然主義的傾向はほとんど認められず、シューベルト、ベルリオーズ、シューマン、ショパン、リスト、ワグナーとロマン主義が開花していく。
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