兵馬俑は始皇帝のものではなかった!?
1974年3月、西安郊外で発見された巨大な兵馬俑坑はいまでは誰もが始皇帝のものであることを信じて疑わない。理由は1.5キロ離れたところに始皇帝陵がむかしからあるからである。そしてこのような巨大な兵馬俑を地下に埋める実力者は古代中国において始皇帝をおいて考えられないとするのである。しかし、中国政府はそのような科学的、考古学的な見地からではなく、多分に政治的な理由で始皇帝でなければならない理由があった。発見当時はまだ毛沢東が存命中で文化大革命の時代である。つまり古い物はことごとく否定された。唯一古代の破壊者であった始皇帝だけが高く評価された。考古専任担当の袁仲一もそのことに苦悩した。学者として良心と文化財の保存。もし始皇帝のものでないとすれば遺跡は残されず破壊されるであろう。なんとしても始皇帝のものする決定的な証拠を示さなければならない。だが始皇帝の時代とする遺物は全く見つからず、むしろ始皇帝の時代よりも数百年以前のものである可能性が高い。袁はただ1つ「相邦呂不韋〇年」の銘が刻まれた矛を絶対の証拠として上部に報告した。呂不韋は誰でも知っている歴史上の人物だ。国家政府もこの一事をもって始皇帝兵馬俑として国際的に発表した。もうこの事実はどんなことがあってもかえることができない歴史的事実となった。もし今後被葬者に関する新遺物が出土しても、国家機密として隠蔽するしかない。実際は始皇帝のような短期間の治世にあれほど巨大な兵馬俑を完成させることは事実上不可能であることはわかる。兵馬俑の主は始皇帝の高祖母、五代前の恵文王の妻で宣太后の陵墓(前4世紀後半)ではないかとみている。
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