平将門忌
平将門(903-940)は12年間、京にいたが、本拠東国に戻ると、父・良将の領地が叔父の平国香に奪われていたのを知り、力ずくで奪還し、国香を殺害した。939年に、官軍の攻撃を受け反撃しついに朝敵となってしまう。その後は関八州を勢力下に治め、自らを「新皇」と号し独立政権をつくってしまう。しかし940年2月14日、平貞盛によって討滅された。将門の首は京から東国に持ちされて首塚がつくられた。神田明神の近くにあった。東国の武将に崇敬を受け、江戸時代における霊地として信仰の対象であった。しかし明治になって、逆臣である将門が祀られているのはあるまじきこととされ、祭神から外された。1984年、将門の神霊は神田明神本社祭神に復帰した。
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