神聖ローマ帝国のイタリア政策の功罪
962年のこの日、東フランク王国ザクセン朝のオットー1世はローマ教皇ヨハネス12世より戴冠された。神聖ローマ帝国の誕生である(ただし「神聖ローマ帝国」という名称そのものは15世紀のもの)。ドイツではザクセン朝、シュタウフェル朝と10世紀から11世紀までドイツ皇帝のイタリア介入は続いた。かつてのアウグストゥスやトラヤヌス、あるいはカール大帝の偉業を夢見て、神聖ローマ皇帝の関心はつねにイタリアに向けられた。世界史での評価は概ね「皇帝のイタリア介入は後年の皇帝対教皇の対立を生み、歴代のドイツ皇帝がイタリア経営に精力を注いで国内統治をおろそかにしたため、ドイツの領邦分裂につながった」としている。しかし一方で、ドイツのイタリア政策に好意的な評価もある。「イタリアを抑え、教皇を意のままに利用することが、ドイツ諸侯統御のために必要であった」との解釈も出されているから歴史の評価は難しいものだ。(2月2日)
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投稿: matt | 2016年2月11日 (木) 18時45分