聖徳太子没す
推古天皇30年2月22日、斑鳩宮において聖徳太子は一族の人々にみとられて薨じた。49歳であった。聖徳太子の実名は「厩戸豊聡皇子」という。宮中の馬屋の前で生まれたという伝説があるが、その名前とのこじつけから作られた逸話である。唐に広まっていた景教(キリスト教のネストリウス派)を通して、イエスの馬屋での出生伝説がこのような形で日本に伝えられたという説もある。わが国の文化の興隆に多大な功績を残した聖徳太子ではあるが、その一族は643年、蘇我入鹿に斑鳩宮を襲撃され、太子の直系は命を絶つことになる。しかし深く仏教を信仰したとされる太子は、のちに聖人化されるようになる。法然や親鸞が太子を崇拝したこともあって、鎌倉時代になると、念仏の流布と共に太子信仰が広まり、また勧進聖たちによって地方にもたらされた。近年は歴史学界には太子虚構説が主流となっているが、国民の間では依然として聖徳太子の英雄像は根強いものがある。ネットで検索すると、「聖徳寺」という名の寺は全国に何カ所も存在する。千葉県松戸市にある「聖徳学園」は建学の理念を聖徳太子の「和」の精神としている。ほかに「東京聖徳病院」、老人ホームの「聖徳園」など聖徳の名を冠する団体・組織は無数に存在する。太子の愛馬といえば「黒駒」が知られるが、太子には「雪丸」という愛犬がいた。奈良の達磨寺には雪丸像の墓がある。2月22日
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