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2023年1月29日 (日)

コロッセオ

Giovanni_battista_piranesi_the_colo
18世紀ピラネージの銅版画

 

 

 

Vespasian3
ウェスパシアヌス皇帝 (在位69-79)

   ローマで一番に人気のある観光スポットといえばコロッセオである。古代ローマ帝国の中心地といってよい。日本語での表記は様々で、英語でコロシアム、イタリア語でコロッセオ、ラテン語でコロッセウム。正式にはフラウィウスの円形競技場といい、フラウィウス朝の皇帝ウェスパシアヌスと彼の息子ティトゥスとドミティアヌスが完成した。名前の由来はネロ帝の黄金宮殿の人造池址に建設され、ネロ帝の巨大な石像(コロッセオ)があったことから「コロッセオ」と呼ばれた。コロッセオの建造に当たっては、近隣で切り出される石灰石を利用していたが、石灰岩と火山灰と混ぜて作られた古代のコンクリートも使用されている。外縁には各階80のアーチの中に彫像が飾られ、外壁には大理石で覆われていた。

   この名高い闘技場でたくさんの剣闘士たちが傷を負ったり死んだりしている。猛獣と人間との戦い、剣闘士による人間同士の戦いを観て、大観衆が流れる血にわきかえる。このような残忍なローマの風習はなぜ長く続いたのか。一説では、この競技は、エトルスキ人の宗教儀式に起源をもつと考えられる。紀元1世紀に、キリスト教会の創始者の1人で、アンティオキアの司教でぁつた聖イグナティオスがライオンに身体を引き裂かれ、ここで殉教している。西暦404年には、キリスト教の修道士聖テレマコスが、ある剣闘士の闘いを止めさせようと間に入るが、群衆に石を投げつられて殺されてしまう。この蛮行に立腹した時の皇帝ホノリウスは、ローマでは剣闘士の登場する娯楽はすべて廃止した。それでも細々と続いていた剣闘士競技も5世紀半ばには行われなくなり、こうしてコロセウムも次第に衰退していった。ルネサンスの古代崇拝にもかかわらず、コロッセウムは長い間に荒廃していった。おそらく1231年の大地震のときに、南西部の外郭全体が崩落し、形をとどめない石のかたまりになってしまった。数百種の珍しい植物が生い茂り、1855年にはリチャード・ディーキンの「コロッセウムの植物誌」が出版されるほどであったが、周辺の衛生環境は悪く、当時のコロッセウムはチフスなど病気の発生源ともなっていた。ナポレオンがローマを占領してから、フランス人によって雑草が除去され、19世紀から20世紀はじめにかけて修復工事がおこなわれた。

 

 

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