チューリップと風車だけじゃないオランダ
1649年の秋、哲学者デカルトが隠棲の場所として選んだのはオランダだった。鎖国の江戸幕府がヨーロッパで唯一交易を許したのもオランダである。1579年のユトレヒト同盟によって宗教的自由を勝ち得たオランダは、1581年スペインから分離宣言し、1648年のウェストファリア条約で独立を認められた。17世紀には4度に渡り蘭英戦争がおこる。17世紀には東インド会社を中心とした世界的商工業国家へと繁栄していた。徳川幕府がオランダから海外情報を得ていたことは正解だったといえる。1688年英国議会の要請により国王に招請されたオランダのオラニエ公ウィレム3世(ウィリアム2世)は軍勢を率いてイギリスに上陸した。この蘭英の連合は、オランダにとって、不利益となる。以降、オランダは衰退する。植民地戦争にイギリスに敗れ、ナポレオン統治下のフランスに併合される。このような事情を徳川幕府が知っていたかは定かではない。1815年のウィーン会議でオランダ王国が成立し、1839年ベルギー、1890年ルクセンブルクが分離し、現在の国土となった。
オランダは立憲君主制の国である。現在はベアトリクス女王だが4月30日にウィレム・アレクサンダーに王位を譲位する予定である。野球オランダ代表はキュラソー、アルバなどカリブの島の選手たちが活躍している。国際試合で気付くことだが、オランダの国名は「ネーデルラント(the Nederlands)」である。日本語では慣例としてHolland(ホラント)州にちなむ俗称「オランダ(Holanda)」で呼ばれている。ネーデルランドとは「低地の国」という意味。オランダは低地で運河が多い。小川の多い地域ではフィーエルヤッペンという遊びがある。
オランダ北東にあるフリースランド州には250年以上前から行われている伝統的スポーツで、棒高跳びのように長い棒を川や運河に差しジャンプしてよじのぼり出来るだけ遠くに飛ぶことを競うフィーエルヤッペン fierljeppen である。
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