明朝の大地震「華県大地震」
明の国力は洪武帝・永楽帝の時代を頂点として、次第に下り坂となる。国内では、永楽帝以後、幼少や病弱の天子が続き、しかも天子が極端に尊ばれたため、側近の宦官が政治を掌握した。対外的には北方のアルタン・ハーン(1507-1581)率いる右翼モンゴルによる侵攻、南方では倭寇による侵入が激しくなり、いわゆる北慮南倭が猛威わふるい、国事多難の時期であった。第12代皇帝、嘉靖帝(1507-1566)は道教に熱中し、方士王金の丹薬で急死した。また明実録によると、1556年1月23日(旧暦12月12日)には陝西省華県で中国史上最大の大地震(マグニチュード8)が発生し、83万人の死者がでている。余震は1年以上続く。
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