鳥羽・伏見の戦い
1868年1月3日。午後4時ごろ、幕府軍の別働隊は鴨川を渡り入京しようとした。薩摩軍は渡河を認めず、ここに鳥羽の戦いが始まった。鳥羽から5㎞東の伏見でも、朝からにらみ合いが続いていた。こうして鳥羽・伏見で全面的な戦いが勃発した。薩摩・長州軍は支援の安芸藩・土佐藩をふくめ約5000人ほどの兵力で幕府軍にくらべ3分の人の兵力にすぎなかったが、大砲・小銃の装備にすぐれており、幕府軍が用いたゲーベル銃に対し、薩摩軍が用いたのはアメリカ製スペンサー元込銃などの新式銃であった。翌4日には薩摩・長州軍の優勢がはっきりする。こうして始まった戊辰戦争は、これから1年半に及ぶことになる。
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