島津重豪(しまづしげひで)
薩摩藩8代藩主・島津重豪(1745-1833)は名君だったかどうかは怪しい。しかし保守的な薩摩に西欧文明をどしどし取り入れたので開明的な君主であった。赤字財政を抱えながらも、積極政策をとりつづけ、造士館・演武館・医学院・薬草園・明時館を創設。このため西洋の自然科学が大いに発達した。家老樺山主税らが藩政改革に着手するや、重豪はこれを弾圧、主謀者を切腹させるなど115人の大量の処罰者をだし、「近思録くずれ」とよばれた。この事件で藩主は孫の斉興に替ったが、重豪はひき続き藩政の実権をにぎった。1827年、調所広郷を起用して5百万両におよぶ借財を解消するため財政改革を行った。
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