源実朝暗殺される
鶴岡八幡宮で盛大に源実朝の右大臣拝賀式が承久元年(1219年)1月27日に行われた。早咲きの梅の花を見て、「出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春をわするな」と詠んだ。辞世の歌のような悲しいひびきがある。その儀式の夜、日暮れから降りはじめた雪はしんしんと積もった。実朝が雪の石段を下りたところ、頼家の遺児の公暁はイチョウの木の陰から突然おどり出して、将軍実朝を殺し、太刀持ちの源仲章も斬り伏せた。公暁は実朝暗殺のあと、三浦義村を頼ったが、義村に裏切られ、長尾定景に謀殺されてしまった。将軍実朝は30歳に満たない若い命を散らし、公暁も死に、ここに源氏の嫡流が断絶してしまった。
鶴岡八幡宮の石段わきには「公暁の隠れ銀杏」といわれるイチョウの大木があった。高さ約30m、周囲6.8m、樹齢800年以上ともいわれている。ところが2010年3月夜の強風のため、この大木が倒れてしまった。樹齢800年であれば、公暁が隠れたイチョウの木はこれ以前の木かもしれない。それにしても「公暁の隠れ銀杏」の話は江戸時代以降に見られることで、慈円の「愚管抄」などの鎌倉時代の文献には、イチョウのことは一つも書かれていない。このことから史実ではなさそうだ。現在、倒伏した大銀杏の樹幹が鎌倉文華館カフェに置かれている。この実朝暗殺が、公暁一人の計画でなかったことはほぼ推察できる。しかし、これが北条義時の陰謀であるのか、あるいは三浦義村が暗殺計画の黒幕であるのか(永井路子の小説『炎環』)、さまざまな憶測は可能であるが、その真相はいまだに歴史上の謎につつまれている。
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公暁はなぜ自分の手で実朝を暗殺したのか。
刺客を差し向け自分の手を汚さず実行できなかったのか。
そこが分からない・・・
公暁に深謀がなかったということだろうが、結果を想定すれば、打つべき手を打ったあとでどうなるか見えたはずだ。
公暁は愚か者だったということだろう・・・。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年1月27日 (日) 05時25分