レーニン・デー
ロシアの革命家、ソビエト連邦の建国者ウラジーミル・イリイッチ・レーニン(1870-1924)は、1924年1月21日に53歳で他界した。死因は、その精力的な仕事からくる過労といわれているが、1918年8月30日、モスクワの工場労働者に演説中、左翼エスエルの35歳女性党員ファーニャ・カプランから2発の銃弾を受けた際の後遺症も死を早めたともいわれる。1922年5月26日、レーニンは第1回目の発作に見舞われた。10月2日、彼は再びオフィスの仕事に向かいはじめたが、断続的に、しかも短時間しか続けられなかった。12月16日、第2回目の発作が起こり、右の腕と脚が麻痺状態に陥った。1924年1月21日午後6時50分、モスクワ近郊のゴルキで亡くなくなった。遺体はモスクワのレーニン廟に現在も保存されている。
ところで、レーニンという名はペンネーム(偽名)である。本名はウラジーミル・イリイッチ・ウリヤノフ。1901年末、「N・レーニン」という変名を初めて使ったがその由来には諸説がある。①シベリアの大河レナ川に因んで、「レナ川の人」という意味②レナという級友の名前③N・レーニンという変名のNはニコライの略。(Vladimir Iliich Lenin)
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コメント
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でも、ファーニャ・カプランが犯人だった可能性はうすいそうですよ。
投稿: 名無しのゴンべ | 2008年9月 1日 (月) 15時22分
ご指摘のとおり、エスエル党員ファーニャ・カプランは、当時既に失明同然で、真犯人は別人だったとする説が有力だそうですね。カプランに関して何も知りませんが、事件後、カプランは逮捕され、即決裁判で処刑された。女性革命家の悲劇的最期が哀れさを感ずる。
投稿: ケペル | 2008年9月 1日 (月) 17時01分
マルクス・エンゲルス、レーニンを見直す動きがでている。
現在の格差社会をどう見るかということで、クローズアップしているのだろう。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2013年1月21日 (月) 07時15分