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2023年1月21日 (土)

レーニン・デー

Nikolailenin2225    ロシアの革命家、ソビエト連邦の建国者ウラジーミル・イリイッチ・レーニン(1870-1924)は、1924年1月21日に53歳で他界した。死因は、その精力的な仕事からくる過労といわれているが、1918年8月30日、モスクワの工場労働者に演説中、左翼エスエルの35歳女性党員ファーニャ・カプランから2発の銃弾を受けた際の後遺症も死を早めたともいわれる。1922年5月26日、レーニンは第1回目の発作に見舞われた。10月2日、彼は再びオフィスの仕事に向かいはじめたが、断続的に、しかも短時間しか続けられなかった。12月16日、第2回目の発作が起こり、右の腕と脚が麻痺状態に陥った。1924年1月21日午後6時50分、モスクワ近郊のゴルキで亡くなくなった。遺体はモスクワのレーニン廟に現在も保存されている。

    ところで、レーニンという名はペンネーム(偽名)である。本名はウラジーミル・イリイッチ・ウリヤノフ。1901年末、「N・レーニン」という変名を初めて使ったがその由来には諸説がある。①シベリアの大河レナ川に因んで、「レナ川の人」という意味②レナという級友の名前③N・レーニンという変名のNはニコライの略。(Vladimir Iliich Lenin)

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コメント

でも、ファーニャ・カプランが犯人だった可能性はうすいそうですよ。

ご指摘のとおり、エスエル党員ファーニャ・カプランは、当時既に失明同然で、真犯人は別人だったとする説が有力だそうですね。カプランに関して何も知りませんが、事件後、カプランは逮捕され、即決裁判で処刑された。女性革命家の悲劇的最期が哀れさを感ずる。

マルクス・エンゲルス、レーニンを見直す動きがでている。

現在の格差社会をどう見るかということで、クローズアップしているのだろう。

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