美女は世界一周に挑戦する
1519年、マゼランはスペインのサンルカル港を出帆し、1522年、世界一周を成し遂げたことになっている。しかしマゼラン自身はフィリピン諸島のマクタン島で殺害されたので世界一周はしていない。人類最初の世界一周航海者はフアン・セバスティアン・エルカノ(?ー1526)である。その後、帆船、蒸気船、鉄道、飛行機などができると世界一周は誰でも気軽にできる旅行となった。飛行機が発明される前までの19世紀はまだ世界一周は冒険旅行だった。問題は何日で地球を一周できるかである。もちろん高緯度で地球を一周すれば早くなるので、一度は赤道を通過し、すべての経線を通過することが条件に加えられねばならない。ジュール・ヴェルヌの冒険小説「八十日間世界一周」(1872年)は冒険家たちにチャレンジ精神を刺激させた。アメリカの女性記者ネリー・ブライ(1864-1922)は1889年ニューヨークを出発し、72日間で世界を一周した。当時これは地球一周の世界記録となった。1958年スカンジナビア航空が主催した「世界早回り」に当時30歳の兼高かおるが挑戦し、73時間9分35秒の新記録を樹立した。ヨットによる世界一周は1969年、イギリス人のロビン・ノックス・ジョンストンが312日間で達成した。堀江謙一はマーメイドⅢ号で西回り単独無帰港世界一周航海を277日で達成した。1992年、今給黎教子がヨット「海連」で東周り278日間で成功している。
間寛平は「アースマラソン」で2年かけて世界一周を達成した。ギネス認定「人力世界一周」には厳しい条件がある。スタートとゴールは同じ場所でなければならない。足で移動するのか、人力のみによる器具を使った移動であること。風力を受けるものはダメである。赤道を一度は通過すること。間寛平の場合、ヨットを使用したことや、赤道を通過しなかったことなどから、人力世界一周とは認定されない。手こぎボートやカヤックで海を渡らなれりばならい。イギリスの女性アウテンは2011年4月にロンドンをスタートし、ドーバー海峡をカヤックで渡り、欧州・アジアを自転車で横断、サハリンから北海道に上陸し、津軽海峡をカヤックで渡り、青森県から自転車で南下し、これから銚子から手こぎで太平洋を横断するものと思われる。北米からは南下し赤道を通過せねばならず、最後に大西洋横断し、ロンドンに到着するにはまだまだ難関が待ち受けている。
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