近代作家と映画黄金時代 1930-1952
「志賀直哉、映画に行く」という新刊書を読む。志賀の日記を基にして、彼の生涯に見た映画を辿っている。この本からわかることは、小説の神様、志賀直哉はそうとうに映画が好きだったらしい。大正の終わりから昭和10 年代の映画館は、映画の二本立てや三本立て、もしくは二本立てとレビューとかバラエティなどの演芸がほとんどだった。1931年志賀は「モロッコ」を家族連れで見ている。志賀は48歳。このとき一緒に行った子供は留女子13歳、壽々子は10歳、萬亀子は9歳。志賀はよほど気に入ったとみえ、昼食の寿司をはさんで、2館に足を運んでいる。子どもたちにはハードスケジュールだったと思われる。志賀の日記には1日に3館行った日さえある。志賀は本当に映画が好きだった。考えてみれば、志賀の生きた時代と映画の黄金時代はちょうどオーバーラップする。
室生犀星も映画好きで知られる。最近、孫の室生洲々子が犀星の映画にまつわる文章を、日記を中心に集めた「犀星映画日記」を出版している。直哉(明治16年生まれ)、谷崎潤一郎(明治19年)、犀星(明治22年)、康成(明治32年)、大岡昇平(明治42年)、三島由紀夫(大正14年)・・・大正・昭和期に活躍した日本の作家はほとんど無声映画、トーキー映画が好きだった。
ハリウッドの黄金時代がいつ頃であるかは諸説あるだろう。「世界でいちばん魅力的な女優」といわれたマレーネ・ディートリッヒが映画監督ジョゼフ・フォン・スタンバークに招かれて渡米し、「モロッコ」に出演したのが1930年。大戦後、チャップリンが赤狩りで逃げるようにアメリカを出国したのが1952年。この1930年から1952年までという期間は、ナチス政権の成立とともに、ヨーロッパからの亡命者がハリウッドに集結し、最もコスモポリタン的な雰囲気に満ちた時代であったと思う。もちろんディートリッヒ以前に渡米した女優にはゼダ・バラ、ポーラ・ネグりやリリアン・ハーヴィ、アラ・ナジモーヴァなどがいる。ゼダはフランス経由で渡米したアラブ人でヴァンプ女優として成功した。だがディートリッヒやチャップリンのように反ナチズムを叫んだ映画人はいない。1930年代から1952年までのハリウッドは俳優だけでなく、監督、脚本家、音楽家、スタッフなどドイツ、フランス、ハンガリー、オーストリア、ロシアなど各国の出身者たちがいた。戦時中の映画には、アメリカ人の閉塞感や未来への希望を代弁して、ミュージカルやメロドラマが好まれた。またジュリアン・デュヴィヴィエ、ジャン・ルノワール、ハーマン・シュムリン等の名監督がドイツ軍占領下のヨーロッパを逃れアメリカで優れた作品を残している。この時代ハリウッドに渡米成功した女優には、グレタ・ガルボ(スウェーデン)、へディー・ラマー(オーストリア)、イングリッド・バーグマン(スウェーデン)、ソニア・へニー(ロシア)、アンナ・ステン(ロシア)、ヴィヴィアン・リー(イギリス)などがいる。
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