なぜ日本ではクリスマス・イブは恋人と過ごすものというイメージが根強いのか
師走に入ると街中にクリスマス・イルミネーションが点灯され、クリスマス気分を盛り上げてくれる。クリスマスという、現在の日本にとっても馴染みのある習慣は、老いも若きも何となくうきうきする季節だろう。家のリースやツリー、クリスマス・ケーキ、そしてプレゼント。「我が持てる包の中もクリスマス」(山内山彦)だが欧米のクリスマスはキリストの生誕を祝い家族が集まって過ごすものだが、日本では宗教観はなく、恋人と過ごすものというイメージが定着している。このの違いはなぜ生まれたのだろうか?
クリスマスの歴史は長く複雑な意味をもつ。キリスト教とのつながりや、キリスト教以前の、ずっと古代に遡る、ヨーロッパ・地中海に面している諸文化の世界観や信仰の形態の影響が認められる。したがって、今日の世俗化されたサンタクロースの意味を理解するためには、キリスト教またはキリスト教以前の様々な信仰の形態の理解が前提になってくる。とくにサンタクロースは死者の象徴であると、レヴィ・ストロースが主張している。古代からのヨーロッパの民間信仰では、我々一般人にあの世から豊穣をもたらすのは、国家に認定された公式の神々ではなく、むしろ地域の小さな神々であった。これらは、多くの場合、先祖に限りなく近い性質をもっていた。現在、クリスマスが主に家族中心の祝いになっているのも、古代からのこの伝統的思想を継承しているからだと思われる。サンタクロースの根底には、冬に関する古代からのシンボリズムが認められる。キリスト教がこの複雑なシンボリズムを横領し、それをキリストの降誕と習合させた。
このようなキリストの生誕を祝うクリスマスの風習や行事が世界中に広まったのは19世紀に入ってからのこと。とくに今日のようにみんなでお祝いするのは一冊の本がきっかけとなっている。英国の文豪チャールズ・ディケンズが1843年に書いた「クリスマス。キャロル」である。内容は守銭奴スクルージがクリスマス・イヴに超常的な体験をして改心というスートリー。ちなみにアンデルセンの「マッチ売りの少女」はその5年後の1848年のことである。クリスマスが本格的に日本に入ってきたのは、明治時代以降のことである。キリスト教の信者がそれほど多くないため、文化的な形だけが定着した。ここに日本のクリスマスの特徴がある。戦後、クリスマスは徐々の家族のイベントになっていまーきます。その後、女性の社会進出が進むとね1980年代には「恋人と過ごす日」というイメージが強くなります。1988年のJR東海のクリスマス・エクスプレスのCMは遠距離恋愛のカップルが新幹線でクリスマスに再会を果たすストーリーを描いた。このCMが(歌・山下達郎)が放映されると、日本において恋人同士でクリスマスを過ごすという新たな文化が生まれるなど社会現象となった。そして「クリスマス・イブは一番大切な人のそばにいたい」というメッセージが拡散されます。同様のイメージはバブル期のトレンディ・ドラマなどで定着されます。いわば日本のクリスマス=聖夜のイメージは電通がしかけたものであるといえる。(参考:ファビオ・ランべッリ「サンタクロースの文化史のための覚え書き」比較文化論叢 札幌大学文化学院紀要19、2007年)
« 有名人になる前の職業 | トップページ | 「怒る時のコラってなに?」雑学365日 »
「キリスト教」カテゴリの記事
- 宣教医ベッテルハイム(2023.04.05)
- トビアの晩(2019.01.02)
- Buck to 1970(2022.02.04)
- 21世紀はなぜ2001年からなのか?(2016.03.17)
- ヴィア・ドロローサ(2016.01.10)
コメント