室生犀星と金沢
徳田秋聲、泉鏡花と並び、金沢三文豪の一人である室生犀星(1889-1962)は、明治22年石川県金沢市に生まれた。明治35年5月、13歳のとき金沢高等小学校3年で中途退学、以後、学歴はない。金沢地方裁判所の給仕をしながら、役所の上司である川越風骨に俳句の指導をうけ、文学書に親しみ始める。15歳のときに、筆名を国分犀東にならい、犀川の西に住むので犀西とし犀星の字をあてる。「みくに新聞」「石川新聞」を退社し、明治43年、赤倉錦風を頼って上京する。貧困と放浪の生活の中で萩原朔太郎、山村暮鳥らと知り合い試作に励む。大正7年、『愛の詩集』『抒情小曲集』を自費出版。作風の特徴は、破格の文語を自由に駆使した抒情詩は強い感動を与え、感情詩派と呼ばれた。
ふるさとは
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
(『抒情小曲集』)
このほか昭和期には「性に目覚める頃」「幼年時代」「あにいもうと」「杏っ子」「かげろふの日記遺文」などの名作小説を発表、小説家としても認められた。近年、晩年に発表された「蜜のあわれ」が映画化され犀星文学への高い再評価がなされている。犀星自身「私の文章にあるまわりくどいところや、暗い感じのするところや、ねばり気のある、その底の方を掻き分け見ますと、北国の憂鬱な気候がいつの間にか、私の心をそめ、ものを染めるように染め、そして文章にもそれが現れているのであろうと思います」(「文学者と郷土」)と言っている。
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