岸壁の母
第二次世界大戦後、ソ連からの引き揚げ船が着くたびにいつでも桟橋の脇に立つ一人の女性が見受けられた。これがいつしか人々の目に止まり、「岸壁の母」として取り上げられるようになった。モデルとなったのは、端野いせ(1899-1981)。息子の新二は軍人として1944年に満州に渡った。息子の生存を信じて37年間帰還を待ち続けた端野せいは病で昭和56年7月1日、享年81歳で死去した。中国残留訪中調査団が前年に結成されたが、成田空港に「岸壁の母」せいの姿はなかった。直前に病気で倒れて、車いす生活だったので「みなさんに迷惑がかります」といって固辞した。2000年に慰霊墓参団のメンバーが、新二が上海で生存していることを確認した。しかしその人物が本当に新二であるのかはいまだ明らかではない。新二が生存していたとすれば何故帰国しなかったのか?これから先は推測になるが、もし新二が中国で立派に生きていて妻子を養っているとすれば、中国から離れることができずにそのまま現地での生活を優先したとも考えられる。
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