最後の仇討ち
明治13年のこの日、臼井六郎が父母と妹の仇討ちをした。安政4年、秋月藩の家老臼井亘理が干城隊の山本克己(のち一瀬直久と改名)に殺害された。その後、成人した息子の六郎は一瀬に復讐を志し、明治13年に念願を成就した。当時の新聞は美挙として報じたが、すでに「仇討ち禁止令」が発令されており、仇討ちは当時の法律では死罪に当たる。なんとか終身刑に原型されたが、服役した。のちに大日本帝国憲法発令により特赦を受け、釈放される。後半生の人生は詳細は述べる暇がないが市井の人として60歳で他界した。明治の人物としては「日本最後の仇討ち」として著名らしく、あの森鴎外も紀行文「みちの記」(明治23年)に記している。(12月17日)
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