戦後日本の経済発展
日本の国内生産(GDP)は、米国、中国に次ぐ世界第3位である。戦争によって廃墟と化した日本は「戦後76年」の間に、2度も五輪開催国となって平和主義を希求する世界有数の先進国となった。だが現在の繁栄は廃墟と壕舎の窮乏生活の戦後から始まる。戦争のもたらす恐るべき破壊と損耗について改めて知っておく必要がある。戦争でこうむった国民の被害は、310万人をのぼる多数の戦死傷病者を出したことにある。また空襲によって住居や職場を失い、家族が路頭に迷ったこともある。また戦後の食糧不足から栄養不良となり、餓死したものも多数いたであろう。こうした国民生活の窮乏はなかなか数値に表しにくいものである。岩波講座日本歴史 現代4には「戦時戦後の国富統計」が掲載されている(45頁、島恭彦「戦争と国家独占資本主義」)。これをみても1945年の国富総額は1935年の基準から著しく低下している。
1945年 53,958
(単位,百万円)
戦後、昭和24年までは経済混乱によりインフレが進行していた。自動車産業はドッジラインによる不況もあっで低迷が続いていた。しかし、朝鮮戦争の勃発でアメリカから大量の自動車の注文がおこり、日本経済の復興のきざしがみえた。つまり戦後日本の経済成長の過程には3つのターニング・ポイントがある。1つ目は昭和25年の朝鮮戦争勃発による特需景気。2つ目は「もはや戦後ではない」と言い切った昭和31年の経済白書。3つ目は高度成長のひとつのシンボルとなっている国民所得倍増計画がスタートした昭和37年である。池田勇人は安保闘争で左右の対立を緩和させた。日本はGNP大国に上昇し、伝統的な貧困から脱出した。しかし、物価、環境などの面で新しい難問も発生した。昭和39年のオリンピック東京大会、昭和45年の大阪での日本万国博覧会は、世界に開かれた平和な経済国家としてよみがえつた戦後日本を象徴するイベントとなった。豊かさの象徴と呼ばれていたのが、次々と登場する新しい家庭電化製品である。「三種の神器」といわれた白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫に始まり、昭和35年ごろには、カラーテレビ、クーラー、ステレオが登場。さらに、ラジオにはFMが加わり、洗濯機は脱水装置付き、冷蔵庫は冷凍庫付きと、新たな技術開発が日進月歩で進んだ。家庭製品を一つ買いそろえるごとに生活レベルが一ランク上がると誰もが信じ、事実、新製品は爆発的に売れた。なぜ日本が世界有数の経済大国にまで発展できたのだろう。戦後の日本経済の発展の原因をめぐっては今日、さまざまな角度からの研究が行われている。たとえば、戦後欧米から積極的に新技術を導入し、それを体現化した民間設備投資が精力的に展開されたこと、さらに欧米経済の長期的繁栄に支えられて輸出が世界貿易の増加テンポをはるかに上回つて伸び続けたこと、などが発展の原動力になったとする説明などはその代表的な例である。また、戦後の西ドイツが住宅重視の経済復興に力を入れたのに対し、日本は民間設備投資主導型の高度成長を可能にした、という研究がある。このほか、「日本株式会社」といった表現にみられるように、政治と民間との協力がうまくいったことを強調する説、さらに経営学的アプローチとして、労使協調路線による「日本的経済」に発展の原因を求めようとする分析も盛んである。最近では日本人の勤勉精神にスポットライトを当てて、日本経済発展の原因を探ろうとする試みも始まっている。このように、戦後の経済発展の原因をめぐっては、経済学的アプローチだけではなく、日本人の精神風土の分析など経済学以外の学問分野からの研究も盛んになっている。
最新の統計によると、2021年の日本の実質GDP実額は536.8兆円で。内閣府による成長率は前年より2.5%増になる見通しである。しかし国交省のよる統計不正が明らかとなり、その影響はどのくらいなのか「現時点では不明」としている。
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もの言えば唇寒し…にならなければ良いですが、暗黒の時代ですね、戦争は
投稿: | 2015年7月15日 (水) 14時31分