嘆きの天使
中年の男が美女とめぐりあって、欲望に身を任せて逢瀬を重ね、人生初めて真の愛の喜びを知る。だがそれは身の破滅への道だった。古来から、映画やドラマなどで使い古された古典的なパターンだが、現代社会でも情事の様子を週刊誌の写真にとられて社会的な地位を失うという話しはよく見るし、耳に聞く。トーキー初期の名作映画「嘆きの天使」は生真面目な男が女によって破滅するという代表的な作品であろう。
ドイツの作家ルイス・ハインリヒ・マン(1871-1950)は、日本ではその作品によってよりはトーマス・マンの兄として知られているであろう。しかし、彼の長篇小説「ウンラート教授、暴君の末路」(1905)はジョーゼフ・フォン・スタンバーグ監督によって「嘆きの天使」(1930)として映画化され、日本人にとってもお馴染みの話である。翻訳も和田顕太郎により「嘆きの天使」(世界文学全集第2期第19、新潮社、昭和7年)が刊行されている。ところが翻訳はかなり省略した形のものであり、映画と原作とはかなり異なる部分も見受けられる。近年、今井敦訳によって「ウンラート教授」(松籟社)の完訳が刊行されているが、ハインリヒマンはもっと高く評価されてもよい作家であろう。
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