憂国忌
1970年のこの日、三島由紀夫は「楯の会」のメンバーと東京市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に乗り込み、自衛隊の決起を促したが果たせず、楯の会の森田必勝とともに割腹自殺した。現代社会において流行作家というのは富と名声を得た代表的存在といえる。知的な存在において人気俳優や大物政治家も及ばない影響力を持つ。経済的な困窮生活であった太宰の時代はともかく、昭和30年代になると職業作家の生活は庶民の羨望の的となる。石坂洋次郎のように軽井沢に別荘を持ち、趣味はゴルフというのがオーソドックスなスタイルであろう。そういった点をみても三島は他の作家とは変わっていた。なぜか別荘やゴルフは嫌いなようだ。かわりにボディビル、ボクシング、剣道という身体鍛錬がよく知られているところであるが、変わった趣味として天体観測がある。自宅の屋上に観測所を作り、毎晩のように星空を見ていた。天文に興味があるのではなく、宇宙人の存在を信じていたらしく、真の目的はUFOの発見にあった。「美しい星」という作品を残している。「日本空飛ぶ円盤研究会」という怪しげな団体にも入っている。三島の会員番号は12番だ。本当にUFOの存在を信じていた。だがついに三島はUFOを見ることはなかった。(11月25日)
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