後三年の役終わる
前九年の役で奥州地方を制覇した清原武則の子武貞の没後、真衡と家衡・清衡の間で紛争があり、真衡の死後には家衡と清衡が争った。この頃、陸奥守として源義家が入国して両者の調停をはかったが失敗し、清衡の請に応じてこれをたすけ、家衡と対抗した。戦役は、1087年11月14日、清衡方の勝利に終わった。清原一族は全滅した。この役の後、源氏は東国に勢力を確立した。
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