インカ帝国滅亡
1533年のこの日、フランシスコ・ピサロ(1478-1541)がインカ帝国の首都クスコに無血入城した。
スペインの軍人ピサロはインカの黄金に関する噂を聞いて南米大陸の西海岸を探検し、スペイン宮廷の援助を受けて180人の兵士とともにパナマを出発(1531年)、アンデス山脈を越えてペルーのインカ帝国にいたり、1531年11月、インカ皇帝の率いる2万の敵軍を破ってクスコに入り、皇帝アタワルバを処刑して(1533年7月26日)、11月15日クスコに入城し、インカ帝国を滅ぼした。
インカ帝国は1400年頃、神の化身・太陽の子インカを中心に貴族・神官による官僚機構が発達し、中央集権的な支配がなされていた。帝国の基礎単位となったのは閉鎖的で自給自足的なアイユ(親族的ないし地縁的な集団)であり、大規模で高度な灌漑事業が帝国形成の基礎となった。地方の統治は伝統的な支配者であるクラカに委ねられ、少数の地方長官やインカの巡察使により能率的に統治された。導水路が発達しトウモロコシ、馬鈴薯が階段畑で栽培された。鉄器は知られておらず青銅器の段階であったるまた文字がなくキープという結節縄を用いた数字の記録法があった。
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