朝鮮王妃、閔妃暗殺事件の真実
横浜市中区の山手イタリア山庭園に「外交官の家」という瀟洒な洋館がある。明治・大正期の外交官・内田定槌(1865-1942)の邸宅(東京渋谷区)を移築・復元したもの。内田定槌(うちださだづち)は慶応元年、内田甚蔵の長男として豊前小倉に生れた。明治22年東京帝国大学卒業後、外務省入省。明治26年から京城に在勤し、朝鮮王妃暗殺事件(明治28年10月8日)の事後処理にあたった。内田の回想(昭和14年に口述)によると、三浦梧楼(1846-1926)らは広島で裁判にかけられ、免訴になったものの、事実は日本軍や壮士たちが王宮に侵入し、閔妃を殺害し、遺体を近くの林に運び石油をかけて焼いたことを述べている。それでも気になったので池の中に掘り込んだがなかなか沈まないので、翌日に松原の中に埋めたことを人伝えに聴いている。朝鮮王妃暗殺事件は日本では「乙未事変」という隠蔽した歴史用語が使われている。
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