桓武天皇の時代
青色は天智系、赤色は天武系。なお紫色は、天智に生れるが、天武系の意識をもって行動した天皇をさす。
延暦3年11月11日、桓武天皇は平城京から水陸交通の便にめぐまれた山背の国の長岡京へ遷都した。奈良時代後期の政治的混乱を乗り越え、寺院勢力を排除し、天武系の皇族子孫とそれを支持する貴族たちの多い平城京を離れることがその大きな理由であった。しかし造都ははかどらず、造営を推進した藤原種継の暗殺事件が起こり、それにかわって皇太弟早良親王が憤死して、その怨霊に悩まされるにいたる。ついに10年後の延暦13年10月22日、平安京への遷都が行われる。桓武天皇は歴代天皇の中でも稀にみる英傑であった。桓武は学問もすぐれていたらしく、政務も自ら行っていた、遊猟とくに勇壮な鷹狩を好み、しばしば郊外に馬を馳せ、晩年まで止めなかった。また、英雄色を好む、の喩えどおり、寵愛する女性も多く、子女が35人いたという。後宮は奢侈をきわめ財政難に苦しんだ。政府は財政難を補うために、人民に課税を重くとりたてた。皇位をめぐる権力闘争は桓武の即位のはじめからみられ、みずから進んで臣籍に下ったりするものも少なくなく、その多くは源氏の姓を賜い、なかには平氏その他の姓を賜ったものもいた。
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