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2022年10月18日 (火)

沖田総司の妻

Photo     沖田総司(1842-1868)といえば今では知らぬ人はないほど歴史上の有名人物であるが、むかしは新選組といえば近藤勇くらいで、あとの隊士はほとんど無名であった。中里介山の「大菩薩峠」に沖田総司が登場するのが初めであろうか。昭和37年に発表された司馬遼太郎の短編集「新選組血風録」と東映が昭和40年にドラマ化したため一躍、土方歳三(栗塚旭)、沖田総司(島田順司)、斎藤一(左右田一平)の名はお茶の間に知られるようになった。とくに若くして結核で死ぬ沖田総司は青年剣士のイメージで熱狂的な女性ファンをつくった。映画「燃えよ剣」では山田涼介が、鶴田浩二版「新選組」では有川博が演じた。BSプレミアム「新選組血風録」では、辻本祐樹が半井お悠(寺島咲)との淡い恋を描いている。だが史実はどうなのだろうか。幕末維新史家の川西正隆によれば、池田屋の変の戦闘で負傷した総司は壬生村の医療所、浜崎新三郎・トク夫妻宅で手当てを受けた。総司はこの時、トクの助手をしていた石井秩という女と知り合う。彼女は山城乙訓郡西本生邑・百姓石井忠左衛門の娘で天保15年(1844)10月18日の生まれであった。秩はユキという女子の連れ子をして、浜崎家へ来ていた。総司はユキを連れて壬生寺へ遊びに出かけたという。総司と秩は恋仲になり、秩は慶応2年11月5日にキョウという総司の子供を産む。しかし秩は翌3年4月26日に死没した。京都・光緑寺の墓地の「沖田氏縁者」と刻まれた墓碑は秩のものだという。娘ユキとキョウはその後どうなったのか。誰かに育てられたらしいが、明治の世、新選組隊士の娘は、はばかられる時代なので、いかなる人生をすごしたかは誰もわからない。沖田総司の子孫は現在もいるかもしれない。(川西正隆「沖田総司の恋人の謎」歴史と旅 昭和55年11月号) 画像は沖田総司の妻、秩の墓(京都市四条大宮町37番地)

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コメント

そうなんですよね。
私も幕末物の小説何篇か書いていて、新撰組には詳しいのですが、明治の頃は、新撰組の生き残りなんて、朝敵の最たるものですから、肩身がせまかったでしょうね。(≧∇≦)

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