トロイの木馬
1871年のこの日、商売で巨富を築いたシュリーマンは古代都市トロヤの発掘に着手した。シュリーマンは1822年ドイツのメックレンブルクのノイ・ブコウの貧しい牧師の家に生まれた。彼は幼少のころ「子供のための世界史」のなかでトロヤ落城の挿図を見て、いつかトロヤを掘ると誓っていたのだ。トロヤの木馬とはこんな話である。難攻不落を誇っていたトロヤであったが、知恵者として有名だったイタカの王オデュッセウスが、アテネの助けによって、「木馬」を利用した計略をめぐらした。オデュッセウスは、ギリシア軍に加わっていたエペイオスという工作の名人に命じて、腹が空洞になった巨大な木馬を作らせた。そしてそのなかに、ギリシア方の選り抜きの勇士たちと一緒に隠れた。その他の軍勢は、陣営を焼き払って船に乗り、沖の島の影に投錨し待機した。するとトロイの人びとは、ギリシア軍が勝利を断念して帰省したと思い、喜んで市の外に出て来た。そして木馬を戦利品として市内に引き入れ、敵の退却を祝って狂気乱舞し、歓楽の限りを尽くした。彼らが酔い痴れ疲れきって熟睡した夜更けに、木馬からギリシア方の勇士たちが外に出た。そして城門を開け、戻って来た味方の軍勢を引き入れて、市に火を放ち、不意を打たれて周章狼狽するトロイ人に対して、殺戮をほしいままにした。トロイの男たちは、かろうじて市外に逃げのびたほんの少数の落武者を除き、皆殺しにされ、女はみな捕虜にされて、略奪した戦利品の財宝などと一緒に、ギリシア方の大将たちに分配された。これが有名なトロイの木馬の話しである。「イリアス」と「オデュセイア」に出てくるこの「トロヤの木馬」の話を事実と信じ、考古学者シュリーマンは、その発掘を夢見ていた。その願いが通じて、1870年、小アジア、ダーダネルス海峡出口に面したヒッサルリクとバルカン半島のミケーネで黄金のマスクなどを発掘する。(世界史こぼれ話、10月11日)
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