源頼朝、鎌倉に入る(1180年)
治承4年10月6日、源頼朝は父祖以来の源氏ゆかりの地、相模国の鎌倉に千葉常胤(父の千葉常重は下総の武将で、千葉氏一族の初代当主。千葉県なと地名由来の元祖)らの助勢を得て鎌倉に入る。そして10月20日、平維盛を総大将とする平氏の軍勢を富士川で、戦わずして勝利をおさめた。このとき頼朝34歳。
翌日、数奇の手勢を率いた若武者がいた。義経24歳である。父・義朝の敗北と死という悲劇によって遠く引き離された異母兄弟が、長い歳月の末にようやく対面することができたのである。八幡神社には頼朝と義経が対面したときに腰をおろしたとされる対面石がある。このとき義経は何騎を従えて兄・頼朝のもとへ駆けつけたのか?「吾妻鑑」には、佐藤継信と忠信とたった3騎となっている。「義経記」では300騎ほどを率いて駆けつけたとある。義経の家来として名が知られているのは、武蔵坊弁慶、駿河次郎清重、片岡八郎弘経、亀井六郎重清、伊勢三郎義盛、鎌田藤太盛政、鎌田藤次光政、常陸坊海尊などである。だが、はたしてこれらの家来が実在の人物かどうかは、まるで証拠がない。そんななかで唯一、係累が明らかなのは佐藤継信、佐藤忠信の兄弟である。佐藤家の菩提寺・医王寺には2人の墓がある。
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