622年のこの日、ムハンマド(マホメット)はメッカ北方のオアシス都市ヤスリブに逃れた。のちにイスラム教の信者たちはこれを「ヒジュラ(聖遷)」と呼び、ヤスリブをメディナ(「預言者の町」の意)と改め、この年をヒジュラ暦の紀元元年とする。(ちなみに同622年は聖徳太子の没年でもある)その日はラビーウルアウワル12日だったとの伝承がある。
マホメットはイスラーム教を創始して、これまでの預言者という役割に加えて、政治家・軍司令官となってイスラーム世界を築いた。歴史家アンリ・ピレンヌは「マホメットなくしてカール大帝なし」といった。(Muhammad,Hijra,9月24日,7月16日)
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