西洋政治思想史研究
プラトン
紀元前427年、ギリシアの哲学者プラトンはアテネの名家に生まれた(ただし生年については紀元前428年など諸説ある)。ディオゲネス・ラエルティオス(3世紀前半の哲学史家)によると、プラトンの本名はアリストクレスである。体格が立派で肩幅が広かったため、レスリングの師匠であるアリストンに「プラトン」(広いという意)という渾名で呼ばれ、それが定着したのである。プラトンの言葉に「人間の最も基本的な分類として、知(wisdom)を愛する人、勝利(honor)を愛する人、利得(gain)を愛する人、の三つがある」。昨夜観た映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」でのワン・シーン。池松壮亮が住むアパートの隣人。心やさしそうな老人(大西力)だが貧しくてエアコンが使えない。ある日、熱中症で死体が発見された。室内の書棚には難しそうな哲学書が並んでいた。作家の意図するところは不明だが何故か心打たれた。
アリストテレス
紀元前384年、カルキディケ半島のスタゲイロスでマケドニア王の侍医の家に生まれ、17歳でアテネに出てプラトンの学園゜アカデメイア」に20年間学びかつ教えた。彼は哲学・政治・倫理・歴史・経済・心理・論理・美学・生物の諸学におよぶ「万学の祖」であり、古代の学問の集大成者であった。G・セイバインは「国制史研究と国家の実証的・構造的・機能的考察の創始者こそアリストテレスであり、それは全体としてこれまでの政治学研究を最も健全で最も実り豊かななものにした」と説く。
トマス・アクィナス
1225年、ナポリ王国アクィノの領主の家に生まれた。ナポリ大学に学んだのち、18歳でドミニコ会子となった彼は、パリに出、当時博識をもって知られていたアルベルトゥス・マグヌスの下で学んだ。1266年、主著「神学大全」に着手したほか、聖書の注釈書を著す。その学問はアリストテレス哲学と教会の調和、すなわち科学的理性と信仰の調和・自然と超自然の統一を求めるもので、普遍論争をほぼ終わらせた。スコラ哲学の集大成者として「天使博士」と呼ばれる。
民主主義思想原理とその発展
民主政治の思想や制度が君主制や貴族制よりもすぐれたものであるとする考え方が定着したのは、17世紀のピューリタン革命や名誉革命によって、市民階級が絶対君主制を倒し、近代国家や近代議会制がイギリスで確立されてから以後のことである。そして、このような民主政治の優位を最初に唱えたのが、イギリスの政治哲学者ハリントン(1611-1677)である。かれは、その著「オセアナ」において、民主的な立法部と権力分立を確立して、「法の支配」による政治の実現を説いた。しかし近代国家における民主政治の原理については、ホッブス、ロック、ルソーなどの思想家の出現を待たねばならない。
トマス・モアと「ユートピア」
1515年ころ、イギリスのトマス・モアは「ユートピア」を執筆した。「ユートピア」は主として、当時のヨーロッパ社会が批判的に語られる第1巻と、優れた架空の社会、ユートピアについてのべられる第2巻からなる。第2巻の記述は、ヒュトロダエウスが見聞したという架空の旅行記である。ユートピア島の政体は国王がおらず、都市ごとに、家族単位によって選ばれる役人によって行われている。原則として、農業が中心となる共有制の社会である。ユートピア思想は社会主義と同一視される傾向があり、マルクス主義もユートピアの実現であるとみなされる。
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