インドと思われた新大陸はなぜアメリカと呼ばれたか?
「地理上の発見」といわれる15世紀末から16世紀にかけて、発見された新大陸や島には発見者の名か、スポンサーの名に由来した命名がされるのがふつうだ。1492年にアメリカを発見したコロンブスは、インドと感ちがいして、1500年まで3回の航海をしてキューバ、ハイチをはじめトリニダード島などを発見するが、あと一歩で大陸というところまでいった。しかし新大陸の名称はコロンビア大陸とはならず、航海者アメリゴ・ベスプッチにその名誉をかっさらわれてしまった。日本では、ふつう「アメリカ」いえばアメリカ合衆国の略称として用いられることが多い。だが北米、中米、南米および西インド諸島を含むいわゆる新大陸の総称として、「アメリカ」(州)として用いられることもある。それは1507年にドイツの製図師マルティン・ヴァルトゼーミュラー(マーチン・ワルトゼーミュラー、マルティ・バルドゼーミュラーなど)が、「世界地誌」のなかで「世界の第四の地方」として、新大陸、とくに南アメリカを「アメリカ」と呼ぶことを提案したのが起源である。それはアメリゴ・ベスプッチ(1454-1512)の1502年の南米探検(パタゴニア地方)によって、アメリカ州が東インドではなくヨーロッパ人にとっての南アメリカは新大陸と指摘したので、「アメリゴ・ベスプッチ」の名前から「アメリカ」と名付けられたと普通いわれている。しかし近年の研究によると、イギリスではすでに15世紀末には北米を「アメリカ」と称していたと研究者は言っている。それはジョン・カボット(1450-1498)がカナダ東南岸のケープ・ブレトン島からニューファンドランド島などの探検により、探検出資者リチャード・アメリク(Richard Amerik)の名前を取って「Amerik's land」として知られていた。ヴァルトゼーミュラーは「新大陸」を「アメリカ」と呼んだのは、北米・中米・南米を総称するにふさわしい名称として提案したのではないだろか。
つまりアメリゴ・ベスプッチ「アメリカ起源説」には疑問があるわけである。イタリア人アメリゴ・ベスプッチがその名をヨーロッパで知られたのは1503年にパンフレット「新世界」(Mundus Novus)を出版したからである。アメリゴのラテン名アメリクス・ベスプッチの語尾を地名接尾辞ア(a)と置き換えて、アメリカ(America)「アメリゴの(土地)」を意味すると説明づけられてきた。しかし、通常、地名に発見者が因む場合、ファースト・ネームを使う場合はほとんどない。たとえばタスマニア島の発見者アベル・タスマンAbel Tasmanはタスマンに地名接尾辞iaをつけて「タスマン氏の島」と命名している。通常、ベスプッチに敬意をはらうのであれば「ブスプニア」など氏に因むのが通例であろう。またベスプッチが南米の探検が中心で、北米への探検がないのにアメリカの総称というのも不思議な話である。第三にベスプッチは商人であり、その報告書は不正確で航海知識もなく、人物像に疑問がある。以上の疑問から、アメリカ地名の起源の人物はイギリス人のリチャード・アメリクに由来するという説のほうが妥当性が高いと考えている。
新大陸の真の発見者はコロンブスか、アメリゴ・ベスプッチか、アメリクか。スペイン南部の都市セビリアのロドリゴ通りにロドリゴ・デ・トリアーナという船乗りの銅像が建っている。町の人々はコロンブスではなく彼こそが新大陸アメリカの真の発見者だという。ロドリゴはビンタ号のマストに昇っていて、真っ先に陸地を発見したらというのだ。(Amerigo Vespcci)
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