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2022年8月13日 (土)

ライスカレーかカレーライスか

  Photo_2 文明開化の明治になって西洋の文物が一気に渡来した。牛肉、パン、ビール、ワイン。カレーライスもその1つである。 カレーライスの「カリー」は、元来タミル語でスパイスのソースを意味する「カリ」(kari)に由来する。そのカリーがインド料理の代名詞のようになって世界に広まるのは、1772年にカリー&ライスの形でイギリスに入り、英王室のレセプションで好評を博したからである。やがて英国のクロス&ブラックウェル社がカリー粉を商品化し、文明開化の日本にも上陸した。福澤諭吉は「Curryは加兀(コルリ)」とカレーを簡単に紹介している(「増訂華英通信」1860年)。初めて「ライスカレー」という言葉が使われたのは、札幌農学校の食堂で、1881年のことであった。「ライスカレー」はクラーク博士が命名したのだという説がある。その後、大正時代に海軍の常食となり、家庭料理にも定着していった。織田作之助の「夫婦善哉」で有名な難波新地の専門店「自由軒」は名物はライスカレーだった。

   国産カレー粉の発売は1903年、カレールーの発売は1950年、インスタン食品の発売は1968年のことである。インド人が来日して土産にボンカレーを買って帰ったら、あまりの旨さに「インド人もびっくり」したそうである。ライスカレーがカレーライスと呼ばれるようになったのは、1960年代に入ってからのようである。今まで庶民的なイメージが強かったライスカレーを、カレールーとライスを別々の容器に盛り、高級なイメージで売り出したものをカレーライスと呼んだのが最初といわれている。しかし、ライスカレーかカレーライスか、もはやどっちだっていいような話である。

 

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コメント

日本国語大辞典から例文を引用すると「米欧回覧実記〔1877〕〈久米邦武〉五・九七「其米を土缶にて炊き、漿汁をそそき、手にて攪せ食ふ、西洋『ライスカレイ』の料理法の因てはしまる所なり」。米欧回覧実記は明治4年11月から同6年9月に至る米欧十二ヵ国回覧の公式報告書だが刊行は明治10年12月末(1877年)博聞社刊。原文のリアルタイムで『ライスカレイ』と表記したのか刊行時に表記したのか原本を見ない限り判断できないが、遅くとも明治10年には『ライスカレイ』と表記されていた。

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