一乗谷朝倉氏居城跡
戦国大名が抱く京都文化への憧憬から、領国支配の拠点である城下町を京都に似せて造られた地方都市が出現する。西の京都といわれた大内氏の周防山口、越南の都といわれた朝倉氏の越前一乗谷、さらに公家ではあるが一条教房が応仁の乱を避けて下った土佐中村などがある。1970年代には「アンノン族」と称する若い女性たちが全国の「小京都」を求めて観光客で賑わった。金沢、高山、津和野など全盛期には「小京都」と称する市町は63にも上った。ところが2000年代以降、若者の趣味も多様化して「小京都」ブームにも陰りが見えている。現在はピーク時の3割減が「小京都」と称して集客につとめている。
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