フルトンの蒸気船
ブリューゲルの版画(16世紀)
クリッパー
船は世界を大きく変えた。大洋をせばめ、国と国、人と人とを密接に結びあわせた。太古より、人類は流木をまとめただけの原始的な船を移動手段としてきたが、イカダや丸木舟から改良を重ね、より遠くへ安全に航海できるように作れたのが組立船です。組立船は今から5,6千年前には作られていた痕跡が確認されています。各地に起こった造船技術はしだいに融合して、いろいろな船舶が生まれたが、帆がふつうに使われるようになって大洋を航海することが盛んになった。現在の水準からすると、コロンブスの旗船サンタ・マリア号も、インド洋に達したヴァスコ・ダ・ガマの旗船サン・ガブリエル号も同じようにおそろしく小さかった。帆船はその後ますます進歩し、1850年ころからイギリスから中国、オーストラリアへ航海した帆船は大型で速力が速く、クリッパーの名がそのころから起こった。当時すでに汽船が発明されていたが、帆船の時代が長く続いた。
蒸気で船を走らせるという着想は、18世紀の終わりころから現実味をおびてきた。フランスのクロード・ジュフロイは、1783年に、長さ45mのバイロスカーフ号を造り、フランスのリヨンに近いソーヌ川を遡ることに成功した。しかしフランス革命直前で財政的に余裕のない政府の補助が得られず実用化にはおよばなかった。その後、アメリカのロバート・フルトン(1765-1815)が1803年8月9日パリ・セーヌ川で蒸気船の試走に成功した。その後、外輪式蒸気船のクラーモント号を造り、1807年8月17日、時速8kmの速度で、ハドソン川のニューヨークからオルバニーまでの240kmを32時間で遡行するのに成功した。ペンシルヴァニアの農家に生まれたフルトンは、はじめ画家をめざしたが、潜水艇、水雷、蒸気船に関心を持つようになり、駐仏大使リヴィングストン(1746-1813)の支援を受けて蒸気船を完成させた。彼は起業家としても成功し、蒸気船を定期就航させることで財をなした。19世紀後半になると今まで活躍していた帆船にかわって汽船の時代へ移行した。
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