鑑真と玄宗皇帝
759年のこの日、鑑真が唐律招提(後の唐招提寺)を建立する。唐の第6代皇帝玄宗(685-762、在位712-756)は武韋の禍を治め、父の睿宗を復位させ、のち28歳で即位した。年号を開元と改め、賢臣を起用し、政治に精励したので、「開元の治」とよばれる中唐一大盛時を現出させることになった。この、玄宗という皇帝は、なかなか日本との縁が深い。当時の日本は、東大寺大仏の鋳造などにみられるように仏教文化の花盛りで、8世紀だけでも5回の遣唐使が海を渡っている。中国の土を踏んだ日本人は数千人に及んでいる。正倉院にはそのころ渡来した品々が多く秘蔵されており、また正月に屠蘇をのみ、端午の節句に菖蒲の葉を軒端にさすなどの習慣はそのころの唐から入ったのだという。玄宗は皇太子時代に日本の留学僧弁正とよく碁を打ったらしい。阿倍仲麻呂が唐の都長安を訪れたのは、玄宗が即位して6年目である。鑑真が5回も失敗したあげく、ようやく日本に着いたのは、玄宗の治世がおわる3年前、753年12月20日であった。楊貴妃のうわさも、その在世中に日本に伝えられていたであろう。(参考:村山孚「人物中国志5美女猛女の系譜」、8月3日)
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